判例集

裁判例から抽出できる注意義務

①一般的に緊急性・必要性が低い審美歯科治療では、患者が治療を受けるか否かを選択できるように十分な説明をすべき義務がある。特にリスクの説明が必要である。

②合併症や後遺症などの発症を疑わせる資料(事前の診察による患者の特質を含む)がある場合には、それらについて適切な治療を行う注意義務がある。

③インプラント後の神経麻痺は、ほとんどが下顎管中の下歯槽神経又はオトガイ神経の障害に起因するものであり、事前にX線撮影等で下顎管やオトガイ孔までの距離を正確に判定すべき注意義務がある。

④インプラント体が上顎骨を貫通すると、洞粘膜に穴を開ける危険性が高まるし、上顎骨ギリギリまでドリリングすると上顎洞穿孔が発生する危険性が高まるため、一般的には上顎骨を残してドリリングする注意義務がある。

 

判決日時をクリックすると各事件の詳細と歯科医師・弁護士によるそれぞれのコメントを見ることができます。

判決日時 患者の請求 請求原因根拠 事案の概要
(歯科医師/弁護士によるコメント)
事案における
判決のポイント
東京地判
H5・12・21
一部認容 不法行為
(民§709)
上顎無歯顎症例の治療のため骨膜下インプラントによる治療を受けた結果、咀嚼能力が健常者の11%となる後遺障害を負った事故につき、骨膜下インプラントの選択及び施術上の過失があるとして歯科医師の責任を認めた事例 【5つの過失について判断】
①ブレード・インプラント選択の過失
原告の上顎大臼歯部歯槽骨の状態はレントゲン像のみでの判断であり骨の状態が不良であったか断定はできず、また結果的に失敗に終わったのは原告が定期的な来院を怠ったことも原因のひとつであるからブレード・インプラントの選択したこと自体に過失があったということはできない。
②骨膜下インプラント選択の過失
まず有床総義歯による治療を試みるべきであり、患者に対し骨膜下インプラントの危険性をも理解させたうえで慎重にこれを行うのが望ましく、安易に骨膜下インプラントを施術すべきではないことが認められる。
③骨膜下インプラント施術上の過失
ブレード・インプラント撤去の後少なくとも六か月以上骨の安定を待って骨膜下インプラントに移行すべきであったにもかかわらず、わずか一週間後に骨膜下インプラントの施術を行ったことは、歯科医師としての注意義務を尽くさなかった過失がある。
④インプラント術後の管理の過失
ブレード・インプラント除去後、仮歯を歯肉に直接糸で縫いつけるという常識では考えられない治療を行い、骨膜下インプラント装着後繰り返しインプラントに被せた仮歯を木槌で叩いて着脱し、化膿した歯肉を切除するなどして、インプラントの安定を損なったと主張する点については認めるに足りる証拠はない。
⑤感染症防止上の過失
被告が、感染症防止等の観点から、骨膜下インプラント自体の消毒及び骨膜下インプラント施術後の口腔の清掃及び抗生物質投与等の処置を施したことが認定でき、被告の過失を認めることはできない。
東京地判
H6・3・30
一部認容 診療契約上の債務不履行
(民§415)
インプラント手術を歯科医師が実施し、患者に対して上顎洞穿孔及び慢性化膿性歯槽骨炎を生じさせたことについて、善管注意義務違反の債務不履行が認められた事例 【4つの注意義務について判断】
①インプラントの無断除去
特定部位のインプラントを除去し、そこに別のインプラントを埋め込む手術をすれば、施術を受ける原告には当然判ることであるから、全く説明なしに行うというのも通常ないことと考えられるうえ、原告の場合は、原告・被告の供述によれば治療内容について積極的に意見・希望を述べていたことが明らかであって、なおさら全く説明なしに行うということは想定し難い。
②上顎洞穿孔の発生とその発見の遅れ
遅くとも原告から痛み等を告げられた時期には上顎洞穿孔の可能性を疑い、直ちにそれを確認して、上顎洞と口腔との交通を絶つ措置を講じるべきであった。
③上顎洞穿孔に対する不適切な治療
骨膜下インプラント手術を選択・実施し、他の上顎洞の閉鎖術を選択・実施しなかった。
④不適切なスウェーデン製インプラントの手術
本件スウェーデン製インプラント手術の施術にミスがあったことを窺わせる証拠もないので、原告の顎骨の状態等がインプラントに適合しないものであった、あるいは従前の手術の結果すでに適合しないものとなっていたことに原因があったものと推認されるが、被告としては、長期間原告の治療に携わった者として、当然そのことを認識すべきであったと認められるから、右インプラント手術を行い、原告を慢性化膿性歯槽骨炎に罹らせた被告の行為は、診療契約における善管注意義務に違反する債務不履行にあたる。
名古屋地判
H15・7・11
一部認容 診療契約上の債務不履行、不法行為
(民§415,§709)
下顎の歯についてインプラント植立手術を受けた患者に下唇知覚麻痺の後遺障害が残った場合、下顎管に接近した位置にインプラントを打ち込んだ医師に過失があるとして、同医師の不法行為による損害賠償責任が認められた事例 【2つの過失について判断】
①下顎管の圧迫、穿孔
被告は、本件手術の際、特に再手術であったのであるから、骨溝作成の際には下顎管を穿孔、圧迫しないよう慎重に切削を進め、原告が痛みを訴えた際には不十分な麻酔効果によるものか、切削が下顎管近くに及んだことの徴表なのかをX線撮影を行って確認し、下顎管内を圧迫しない位置にインプラントを挿入すべき注意義務があったにも関わらず、これに違反し、下顎管付近まで切削し、原告からの痛みの訴えに対してもX線撮影による確認作業を行うことなく漫然と追加麻酔を施して手術を続行し、下顎管に接近した位置にインプラントを打ち込んで下顎管内の圧迫による下歯槽神経麻痺を招来し、知覚麻痺を出現させた点に過失が認められた。
②麻酔の注射針による神経損傷
原告が本件手術の追加麻酔の際に電気のような痛みが走るのを感じたとの事実を認めることはできず、麻酔の注射針によるオトガイ神経の損傷を認めるに足りる証拠はない。
東京地判
H19・1・29
棄却 不法行為
(民§709)
被告歯科医師が行ったインプラント治療(歯が欠損した部分に人工歯根を埋入し、その歯根を土台として歯幹部を維持する義歯治療法)に関し、①被告が行った一連の施術は、原告に対する暴行、傷害及び強要に当たらない、②被告が治療の際に原告の口腔内から摘出したインプラントを返還しなかったことは、原告に対する窃盗又は横領に当たらないとされた事例
東京地判
H19・7・26
棄却 診療契約の債務不履行、不法行為
(民§415,§709)
担当医のドリリングにおける注意義務違反を認定しつつも、上顎洞炎はインプラント術よりも隣在歯の歯周炎に由来したものであり、手技ミスとは因果関係がないとした事例 【2つの過失について判断】
①手技上の過失
インプラント体を上顎骨に貫通させ、洞粘膜と接触させたが、手技上の過失は認められない。
②手技上の注意義務
本件インプラント術において、インプラント体を上顎骨に貫通させないように、骨を残してドリリングすべき手技上の注意義務に違反した過失は認められる。
東京地判
H20・12・24
一部認容 診療契約の債務不履行
(民§415)
歯科医師によるインプラント手術の説明義務違反並びにドリリング及びインプラント体の埋入に際して注意義務を怠ったとして過失を認めた事案 【3つの注意義務について判断】
①インプラント手術における説明義務違反の有無
インプラント手術を受けるか否かを選択させる前提として、原告の口腔内の状態、本件手術の内容及び必要性、本件手術による神経損傷の危険性及び予後等について、原告がインプラント手術に関する十分な情報に基づいて本件手術を受けるか否かを決定できるよう、相当程度詳細に説明すべきであったにもかかわらずしなかった点に説明義務違反が認められる。
②手術前にCTを撮影せず、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに本件手術を行った注意義務違反の有無
本件手術に先立ち、パノラマレントゲン写真及びデンタルX線写真を撮影し、パノラマレントゲン写真上にメジャーテープを当てて、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を測定し、骨の幅について、触診や口腔内所見(肉眼)により確認しており、当該注意義務違反は認められない。
③本件手術における技術的なミスにより下歯槽神経を損傷した注意義務違反の有無
人工歯根としてこのようなインプラント体を用いる場合には、特にオトガイ孔付近の下歯槽神経を損傷しないように、十分な角度をつけてドリリング及びインプラント体の埋入を行うべき注意義務があったにもかかわらず、上記インプラント体を埋入するにあたり、十分な角度をつけてドリリング及びインプラント体の埋入を行わなかった点に当該注意義務を怠った過失が認められる。
東京地判
H20・4・25
棄却 不法行為
(民§709)
歯科医師が行った歯列矯正等の治療において、抜髄となったものの、抜髄となった過失、抜髄の危険性の説明を怠った過失、根管充填処置を十分に行わなかった過失等は認められなかった事案 【5つの過失と2つの説明義務違反について判断】
①右下3番、4番について歯を過剰に削り抜髄を余儀なくした過失
②右下3番、4番の治療に際しての説明義務違反の有無
③右下3番、4番の歯根膜炎の原因と根管充填についての過失
④右下3番の歯根膜炎の治療を怠った過失
⑤右上1番、2番、左上1番について歯を過剰に削り抜髄を余儀なくした過失
⑥右上1番、2番、左上1番の治療に際しての説明義務違反の有無
⑦左下5番のセラミックス歯冠形成処理についての過失
いずれも過失及び説明義務違反を認めなかった。